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高森明勅
2012.4.26 14:16

異例の両陛下崩御時「ご火葬」報道

何となくやり過ごした人もいるかも知れない。

しかし、少し感度の鋭い人は、きっと驚いたに違いない。

両陛下の崩御時の「ご火葬」を巡る報道のことだ。

一般の国民の場合でも、生前にその人の葬儀や葬り方のことなどを
あれこれ取り沙汰するのは、論外の無礼だろう。

まして日本国及び日本国民統合の「象徴」という尊貴かつ神聖な
お立場にいらっしゃる天皇陛下について、
従来の土葬を火葬に改めるだの、御陵を簡素化するだのと
宮内庁が発表し、メディアが一斉にそれを報道するなんて、
不敬かつ不謹慎この上ないことではないか、と。

そうした感覚は、極めて健全だ。

だが、言う迄もなく、陛下のお立場は、一般の国民とは全く違う。

まさに我が国における究極の「公」の体現者でいらっしゃる。

従って、その葬り方や御陵の築き方なども、単なる私的な営みでは
なく、公的なテーマなのである。

しかも、今回の宮内庁の発表も当然、陛下のご意向を受けてのものと
考えるべきだ。

火葬と御陵の簡素化への陛下の強いご意志を拝察出来る。

そもそも、第41代持統天皇(702年)以来、長く火葬が行われて来た
(但し僅かながら例外もある。醍醐天皇・村上天皇の土葬など)。

それが江戸時代になって、宮中に出入りしていた魚屋八兵衛の熱心な献言により、土葬を採用したと伝える。

ご遺体であっても、陛下の玉体に火をかけるのは畏れ多い、
という至純の忠誠心に基づく献策だった。

かくて、第110代後光明天皇の崩御(1654年)から土葬に改まる。

一介の出入りの魚屋が懸命にこのような献言を行ったことも、
それを身分に関わりなく採用して古代以来の慣行を変更したことも、
それ自体、我が皇室史の美談だろう。

だが一方で、皇室には、国民の負担を軽減するために葬儀や御陵などを簡素化するよう遺言されて来た伝統がある。

それが文献に見える最も古い事例は、第33代推古天皇のご遺言だ(628年)。

極端なケースでは、第53代淳和天皇のご遺言によって、
ご遺骨を粉砕した上で京都西方の大原野西山嶺上に散骨した例さえある(『続日本後紀』)。

天皇陛下のこの度の簡素化への思し召しも、
そうした伝統を踏まえてのことだ。

だが、それにしても、火葬や御陵のことについて、このような報道が
なされたのは、畏れ多いことながら、
陛下がご自身の余命はさほど長くはあるまいとご自覚されての
ことではあるまいか。

もとより、我々は陛下のご健勝とご長命を、心から祈り上げるものである。

だが、陛下ご自身が、そのように自覚していらっしゃることは、
銘記しておくべきだろう。

であれば、陛下が最も案じておられる女性宮家創設を、「慎重に」などという逃げ口上を設けて、
いつまでもモタモタ先延ばしするようなことは、決して許されないはずだ。

さらに、江戸時代以来、続いて来た土葬を決然、火葬に改められるご意志を示されたことは、
陛下の「伝統観」を端的に表明されたものに他ならないだろう。

真に守るべき伝統は、土葬という「形式」か、それとも国民の負担を
考えて御陵などの簡素化に心を砕いてこられた歴代天皇の「精神」か。

陛下は鮮やかにご自身の態度をお示しになった。

ところが、皇室典範改正を巡る議論の中では、一部に、側室不在の
全く新しい時代にありながら、
明治以来の「男系の男子」限定に固執し、かえって皇室と皇統の
存続そのものを危うくする言説が、いまだに見られる。

陛下に対し、まことに申し訳ない気持ちで一杯だ。

なお今回の報道で、多くのメディアが、天皇皇后両陛下について
「崩御」という正しい敬語を使わず、「逝去」としていたのは、
不見識だ。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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